2008年06月30日

昼と夜が直結しそうな夏を迎える直前の水無月最後の夜に

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愛なんていうのは生殖の相手を本能で選ぶことができなくなった人間たちへの神様からのせめてもの贈り物ではないのだろうかと新婚夫婦の住んでいそうなマンションの灯を見ながらふと思う。

いつも途切れ途切れの文章なので今日はブレスのない長文で
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2008年06月24日

昔の知恵に、ただただ感服

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自宅から少し足を延ばしたところにある石像寺。
地元では釘抜地蔵で通っているが、それは「衆生の苦を抜く」というその霊験にちなんだものだ。
早朝から日暮れまで、熱心にお参りする人が絶えない。

参拝者の多くは、ひたすらお堂の周りを回っているが、それは「歳の数だけお堂を回ると願いがかなう」という言い伝えがあるから。
いわば各地に伝わるお百度参りによく似ている。

この釘抜地蔵の場合、かなり少なめに見積もっても、一周30メートルはあると思う。
ということは、歳の数だけ回ったとすると、50歳の人で1.5キロ、80歳の人なら2.4キロになるから、それはもうかなりの運動量になる。

ここに願を掛けるということは、毎日そこそこの運動をすることになるし、また、そうすれば生活も自ずと規則正しくなるだろうから、体にいいことこの上なし。

もちろん、この釘抜地蔵だけでなく、各地のお百度参りやそれに似た信仰も、同様の効果が期待できる。
たとえ深刻な悩みがあっても、体がいい方向に向かえば精神状態はよくなるだろうし、自身を取り巻く状況も、きっといい方向に向かうはずだ。

だから、こういう昔ながらの信仰を、非科学的だと侮るなかれ。
客観的な検証を十分にすることもなく喧伝されるテレビ健康番組のお役立ち情報や新学説よりも、よほど理にかなっているし、信頼できると言えるかもしれない。
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2008年06月23日

花と毒

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人の心を魅了するには、花だけでなく毒がいる。
ただ華やかなだけでは、ダメなのだ。

その代表として思い浮かぶのは、マドンナであったり、松任谷由実であったり、古いところでは美空ひばり、などなど。


ところで昨日のニュースの中に、某県の飲食店で、客が料理に添えられていた紫陽花の葉を食べて食中毒になった、というのがあった。

紫陽花の葉には、胃の消化酵素と反応し青酸を生成する成分があるからだという。
店側は、それを知らずに料理に使った。

こちらは、とんだ花と毒。
プロなのに、不用心、勉強不足も甚だしい。

絶対に大丈夫だと踏んで、消費期限を過ぎた食材を使う方が、よほどのプロだ。
肉なんて腐る寸前が旨いと言うし。
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2008年06月22日

お茶、二題。特権的な文化の行く末

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一時期、茶道を習っていた。学生時代のことだ。
だが、3年習ってやめてしまった。

習い始めて3年なんて、師匠がする通りを真似て、ひたすらそれを覚えるだけ。
それはそれで楽しかったが、自分なんかが茶道を習って、いったい何になるんだと思った。

新米は新米なりに、茶道の楽しさって何なのだろうと考えたとき、自分が亭主になって茶席を催せるようにならないと、茶道の楽しさなんてわからないという結論に達したのだった。

茶器を選び、掛け軸を選び、花を考え、季節に応じたしつらいをする。
そういうことができなければ、ただ、型通りにお茶を喫するだけなのだ。

運がよければそういう身分になれるかもしれないが、学生の身にとって、それは遥か彼方のことだった。手を伸ばしてもすぐに届くわけがないのは、あまりにも明らかだった。


さて、同じお茶でも、お茶屋遊びのお茶がある。

京都ならば上七軒、祇園、金沢ならば西郭、東郭が有名だが、いずれもかつての賑わいを失ってしまった。

しかも行政からは「風俗営業」のレッテルを貼られているため、放っとけばフェードアウトの方向にあるという。

京都で聞いた話では、風俗営業であるお茶屋は世襲しか許されず、跡継ぎがいないと、養子でも迎えて継がさない限りは廃業に追い込まれるとのことだったが、金沢でもそれはまったく同じだという。

ただその一方で、お茶屋というのは貴重な伝統文化であるから、そういう規制を緩和してでも残していかねばならない、という声もあるらしい。

だが、お茶屋が栄えたのは、それを支える旦那衆がいて、さらにその旦那衆の富を支える伝統的な産業基盤があったからにほかならない。
また、そういった旦那衆の独特の価値観の中で、お茶屋遊びの「粋」が芽生えた。

伝統的な産業基盤が崩壊し、粋を知る旦那衆がいなくなりつつあるにも関わらず、お茶屋という営業形態だけを残したところで、文化が伝わるというものでもなかろう。

現代は「価値観の共有」なんて言葉が声高に叫ばれたりするが、この手の文化は一般大衆と価値観を共有することを拒否するところから生まれたものであるのだろうし、行政が策を講じて保護していくという類のものでもないだろう。

滅び去るものを無理に引き止めることなかれ。
盛者必衰の理は、平家物語の昔から、われわれの常識だったはずなのだから。
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2008年06月20日

世の中の縮図のような

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これって、どういうことなのだろう。

周りにビルやマンションが建てられるとき、この家だけ立ち退きを拒んだのか。
それとも、周囲が1軒減り、2軒減りするうちに、結果としてこうなってしまったのか。

いずれにしてもこの町家の住人は、つねに背後のマンションの住民たちから監視されているようで落ち着かないのではないか、と思えてならない。

どう見ても、この場所に先にいるのは町家の方だ。
しかし、新しい者たちに囲まれると、マイノリティのように見える。
場合によっては頑固者、偏屈者に見られたり。
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2008年06月15日

タスポが来れば、コンビニが儲かる

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タスポ導入のおかげで、コンビニは笑いが止まらないそうな。
タスポを持たない喫煙者が、自動販売機でタバコを買えないからコンビニで買う。
それが大きな要因となって、ローソンとファミリーマートで5%、セブンイレブンで3%、売上が増えたとか。
中にはタバコの売上が7割増となった店もあるらしい。

逆にその影響で、町のタバコ店(正確にはタバコ自販機設置者)は売上減。
しかも、自販機をタスポ対応に改修する費用もタバコ店側の負担。補助金を差し引いて12万円ほど必要らしい。

さしあたってタスポ導入は、タバコ小売業者を苦しめる結果となった。
タスポ導入を機にタバコをやめる、という話はよく耳にするが、タスポ導入を機にタバコ店をやめる、なんてケースも増えそうだ。


しかし、タスポ導入はタバコ小売業者にとって困ったものかもしれないが、タスポ導入の顛末を伝えるメディアもまた困ったものだ。
カネにまつわる情報ばかりで、「未成年の喫煙防止」という本来の成果云々はそっちのけの感がある。

まあ近ごろは、どんなニュースでも、その中身は経済優先。
たとえば、「クールビズの経済効果」なんて珍テーマを、真顔で論じるくらいだから。
経済効果が生まれるということは、同時に資源やエネルギーが消費されているわけで、クールビズの趣旨とは真っ向から対立するはずなのだが…。

どこが儲かったの、どこが損したの、などと他人様の銭勘定している暇があったら、愛煙家の少年少女たちを呼び、タスポ導入後はどのように煙を愛しているか、なんちゅうテーマで覆面座談会でも開いた方が、はるかに面白い読み物となる。


タバコ店もタバコ店で、自分は働かず機械に商売をさせているところに問題はなかっただろうか。
少なくともコンビニは、レジに人を立たせている。人間が汗を流して働いているぞ。
ところが、タバコ店も窓口で買えるようにしていれば、コンビニに客を奪われずにすむはずだ、なんて記事も見当たらない。

だが、本当のことでも「弱者イジメ」と解釈されかねない論調は、慎んだ方がダンゼンのダンゼンお得ですもの。
下手に真実なんか追究するより、コンビニという一種の大資本を俎板に載せた方が、何となくジャーナリズムっぽい風味に仕上がりますから。
これがいまだに、進歩的マスコミ人の引きずるいちばんの旧弊。


年がいもなく偉そうなことを言ってしまったけれど、世の中がどういう方向に進むかを憂いてニュースを読むのではなく、単に話のネタを求めているだけ、というわれわれ読者の側に最大の問題があるのかもしれない。

失礼しました。
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2008年06月09日

世界遺産になる前に

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ほんの数年前のことだったはずだ。

ある国内パッケージツアーキャッチコピーで、「世界遺産登録前の石見銀山に行こう」というフレーズを見かけて、なかなか尖った広告だな、と感心したことがある。

お手軽パック旅行の広告なんて、たいていが横並びで、「あの素晴らしい世界遺産にご案内、感動の旅」なんて語り口が多いけれど、この広告はあえて正直路線を選択したわけだ。

世界遺産なんかに登録されたあかつきには、烏合の衆のような物見遊山客で溢れ返って、とてもじっくり観賞なんかできませんからね、
なんて本音を語って客を呼び込もうとしたようである。
旅行会社の人だって、本当はよくわかっていらっしゃる。

もちろん世界遺産に登録されたら登録されたで、「ぜひ世界遺産を!」なんて方向に逆戻りするのだろうし、どのみち「世界遺産」というキーワードを売り物にしていることには変わりはないが、安易な路線を選ばなかったことに、拍手を贈りたい気持ちになった。

なんて偉そうなことを書いているが、自分自身、このキャッチコピーに触発されて、世界遺産登録前に石見銀山に行かねば、行かねば、なんて気持ちになっていた。


結局は行けずじまいで、つい先日、ようやく「世界遺産になってしまった後」の石見銀山に行くことができた。

幸いにして、まだまだ、観光銀座化には至っていなかった。
いかにも、って感じの土産物店もほとんどなかったし。

何でも、地元の人々は、日本が世界遺産条約に批准するよりもはるか以前から、「先祖から受け継いだ歴史ある町並みを末長く守り伝えよう」という趣旨の活動を続けていたそうなのだ。
それがまた、世界遺産にリストアップされる理由ともなった。

たぶん、そのせいなのだろう。夜、酒を飲める店すら1軒もない。
旅とは知らない町で酒を飲むことだ、と勘違いしている私としては、困ったものだと思ったが、さほど苦にはならなかった。

酔っ払う代わりに、明かりの落ちた夜の通りを散歩した。
静かな静かな里の夜だった。
それもまた楽しからずや。

見せ物と化してマネーを呼び込むことよりも、故郷への愛を選ぶ。
静かな夜は、まさにその象徴のように思ったし、意志がある、ということは凄いことなのだとつくづく思った。


だが、地元のそんな素晴らしい意志とは裏腹に、現実として集金施設がないということは、地元経済に何ら貢献しないよそ者たちが、人々の生活圏を土足で闊歩するということになる。
もちろん私自身も含めてである。

それが果たして地元に幸福な結果を呼ぶのかどうか。
観光客にとっても、地元の人々が苦労して維持してきた町並みをタダで見学する、ということが許されてもいいのだろうか。

もちろん、世界遺産リストに加わったこと自体は、町の多くの人々にとって大きな喜びであり、誇りにもなっているのだと思う。
本来は、世界遺産というものが「地元の人たちに与えられる勲章」という域に留まっていて、観光の目玉になることと無縁だったらいいのだろうけど。


ところが多くの地域では、「世界遺産になるための活動」ってヤツがあって、またさらに「世界遺産になってからの思惑」ってヤツがあるという。
そんなのは本末転倒であるはずだし、たとえその活動が実を結んだとしても、当初の思惑を打ち消すに余りあるマイナス要因が待ち受けていたなら、取り返しがつかない。
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2008年06月08日

川は川、花は花、であるはずなのに

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花が一輪あるだけで景色が変わる。
花の力はすごいのだ。

不思議なことに、花の力を思い知るのは鄙びた町並み。
華やかな都会の街並みでは決してない。

いや、それは不思議でも何でもなく、彩度を欠いた風景との対比で自ずとそう思えるのだろう。

だけど、花が一輪あるだけで、年月を経た木の温もりさえ、より以上に伝わってくるから、やはり不思議だ。
やはり、花は魔力をもっている。

さらに不思議に思えるのは、その花の魔力というのは、町並みのような人間の営みの中だけでなく、自然の営みそのものの中でも発揮されるということだ。


川べりに群れ咲く花を見かけただけで、この川は一生懸命流れている、なんて、ふと思った。

川は川、花は花、であるはずなのに。

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2008年06月05日

カフェの発祥

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世界で最初のカフェが誕生したのは、○○世紀のパリであった、

なんてことを言いたいのでは、まったくない。

近ごろではわが邦でも「カフェ」という言葉が日常語化しているが、いつごろからそうなったのか、と少々興味を抱いているのだ。

ごくごく個人的な思い込みかもしれないが、カフェなんていう言葉は、フランス帰りの人が土産話や自慢話をする際の専門用語というような認識があった。
余談だが、さらに自慢気な人は、カフェではなく、キャフェまたはキャッフェと言った。
(なぜかここで、岸惠子という固有名詞が、突然思い浮かんだりする)

たぶん、「カフェ」という言葉を発しても照れずに済むようになったのは、スターバックスや町家を改造した喫茶店のような新しいタイプの店が出現し、それをカフェと呼ぶようになったことが大きいのだろう。
本来的な意味を正せば、喫茶店もカフェも同義語のはずだが、一般的な感覚としては、喫茶店とカフェの間には深くて暗い川があるようだ。


一方、カフェではなく「カフエー」という言葉に関しては、その発祥は戦前の日本だ。
代表的な用例として「カフエーの女給」が知られている。

もっとも、この「カフエー」は、お茶を飲んで休憩するところではなく、いわゆる風俗産業であったそうな。

ちなみに、カフエーの発祥により連鎖的に誕生した言葉が「純喫茶」だという。
私は今の今まで、純喫茶とは「軽食を出さない純粋の喫茶店」のことだと思い込んでいたのだが、本来は、「風俗営業をしない正真正銘の喫茶店」の意味だったらしい。

残念ながら、カフエーという言葉も業態も死に絶えてしまった。
一方で、カフェは日々増殖している。
普通の町家や廃屋、見捨てられたはずの産業施設が、知らぬ間にカフェになっていたりする。

灯台下暗しというか、うちの近所でも、突然カフェが発祥していた。
ウナギには迷惑な話かもしれない。
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2008年05月30日

由美かおる、水原弘よりもタイムスリップ

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写真の右下に3つ並んでいる装置。
今の若い人は、何をするためのものか分かるだろうか。

オジサンにとっては涙が出るほど懐かしい。
昔は銀行などに行くと必ず目にした。

自転車やカブでやってきたお客さんが、愛車の前輪をこの装置の輪っかのところに突っ込みロックする。

当時における二輪車のセキュリティシステムであり、また、駐輪場に整然と駐輪させるという目的も兼ねていたのだと思う。
明らかにモータリゼーション以前の遺物なのである。

ここは自宅からちょっと足を延ばしたところにある理髪店だが、ここでこれを見かけるまで、明治維新以降の日本史上にこういう装置が存在していたことは忘却の彼方だった。

古い物でも、由美かおるのアース渦巻き、水原弘のハイアース、大村崑のオロナミンC(なぜか大塚グループのものばかりだ)などの看板は、意外に結構残っていたり、どこからか手に入れてきたものを、レトロな雰囲気を出すためのエクステリアとして使用しているケースも少なくないから、忘却の彼方にまで飛び去ってはいないのだが、この二輪車止めは、ここ30年ほどまるでお目にかかったことがなくて、その存在すら忘れていた。

大塚グループ系の看板などは、むしろ見飽きるくらいなのだが、この自転車止めだけは、他で見たことがない。

よくは覚えていないが、これが現役だったころは、銀行に車のパーキングなんてなかったのかもしれない。

まさに、時代の生き証人。本当にタイムスリップしたような気にさせてくれる。

そんなわけで、わざと写真の彩度を落としてみた。
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