
ほんの数年前のことだったはずだ。
ある国内
パッケージツアーの
キャッチコピーで、「
世界遺産登録前の石見銀山に行こう」というフレーズを見かけて、なかなか尖った広告だな、と感心したことがある。
お手軽パック
旅行の広告なんて、たいていが横並びで、「あの素晴らしい世界遺産にご案内、感動の旅」なんて語り口が多いけれど、この広告はあえて正直路線を選択したわけだ。
世界遺産なんかに登録されたあかつきには、烏合の衆のような物見遊山客で溢れ返って、とてもじっくり観賞なんかできませんからね、
なんて本音を語って客を呼び込もうとしたようである。
旅行会社の人だって、本当はよくわかっていらっしゃる。
もちろん世界遺産に登録されたら登録されたで、「ぜひ世界遺産を!」なんて方向に逆戻りするのだろうし、どのみち「世界遺産」というキーワードを売り物にしていることには変わりはないが、安易な路線を選ばなかったことに、拍手を贈りたい気持ちになった。
なんて偉そうなことを書いているが、自分自身、このキャッチコピーに触発されて、世界遺産登録前に石見銀山に行かねば、行かねば、なんて気持ちになっていた。
結局は行けずじまいで、つい先日、ようやく「世界遺産になってしまった後」の石見銀山に行くことができた。
幸いにして、まだまだ、
観光銀座化には至っていなかった。
いかにも、って感じの土産物店もほとんどなかったし。
何でも、地元の人々は、日本が世界遺産条約に批准するよりもはるか以前から、「先祖から受け継いだ歴史ある町並みを末長く守り伝えよう」という趣旨の活動を続けていたそうなのだ。
それがまた、世界遺産にリストアップされる理由ともなった。
たぶん、そのせいなのだろう。夜、酒を飲める店すら1軒もない。
旅とは知らない町で酒を飲むことだ、と勘違いしている私としては、困ったものだと思ったが、さほど苦にはならなかった。
酔っ払う代わりに、明かりの落ちた夜の通りを散歩した。
静かな静かな里の夜だった。
それもまた楽しからずや。
見せ物と化して
マネーを呼び込むことよりも、故郷への愛を選ぶ。
静かな夜は、まさにその象徴のように思ったし、意志がある、ということは凄いことなのだとつくづく思った。
だが、地元のそんな素晴らしい意志とは裏腹に、現実として集金施設がないということは、地元経済に何ら貢献しないよそ者たちが、人々の生活圏を土足で闊歩するということになる。
もちろん私自身も含めてである。
それが果たして地元に幸福な結果を呼ぶのかどうか。
観光客にとっても、地元の人々が苦労して維持してきた町並みをタダで見学する、ということが許されてもいいのだろうか。
もちろん、世界遺産リストに加わったこと自体は、町の多くの人々にとって大きな喜びであり、誇りにもなっているのだと思う。
本来は、世界遺産というものが「地元の人たちに与えられる勲章」という域に留まっていて、観光の目玉になることと無縁だったらいいのだろうけど。
ところが多くの地域では、「世界遺産になるための活動」ってヤツがあって、またさらに「世界遺産になってからの思惑」ってヤツがあるという。
そんなのは本末転倒であるはずだし、たとえその活動が実を結んだとしても、当初の思惑を打ち消すに余りあるマイナス要因が
待ち受けていたなら、取り返しがつかない。
posted by squareworld at 00:06|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
日記
|

|