2009年05月22日

老化

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慣れ親しんだものは心地よい。

また一方、その慣れ親しんだものの心地よさを崩すことで得られる心地よさもある。
いつも歩いていた駅までの道をやめて、別の道を歩き始めたら、それが新鮮だったとか、引っ越しや転職なんかにも、そういう部分があるように思う。

ただ、歳をとるに従い、後者より前者を好むようになっていく。
それはちょっと淋しいことだ。

スタンダードのよさがわかるようになるというのも、歳をとることの1つだろうけど、喜んでいいのか悪いのか。

posted by squareworld at 21:13 | Comment(0) | 富山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログムラ

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本当にムラがありますな、このブログは。

先月は過去最多の31題をアップしたが、今月はまだ、今日のを含めて13題。
今年の2月なんて、たったの2題。以前には1年近くの間、1つもアップしていないということもあった。

書きたいことがあるときはどんどん書くし、なければ書かない。
単なる自己満足でやっているだけ。誰かに何かの義理があるわけではないし、続けるためだけに、惰性で無理してやるほどのことはない。

私に限らず、人間誰しも、本当に書きたいこと、言いたいことが、1年365日、コンスタントに湧き出てくるわけではないだろう。
それなのに無理して書いても、自分自身面白くないし、読む側にとっては(読者がいたとするならばだが)もっと面白くない。

新聞の社説だとか、朝日新聞で言う「天声人語」にあたるような、お偉いさんが毎日書いているコラムが全然面白くないのも、そういう理由からだろう。

ただ紙面に穴を空けてはならない、というだけの理由で、文章のための文章を、批判のためだけの批判を、ひたすら惰性で書き続ける。
しかも、本音にはフタを閉めて、ひたすら、自分たちほどの良識人はこの世にいない、かのような言い草ばかり。

そんな文章が面白かったり、新鮮であるはずがないというのは、思えば至極当然だ。


posted by squareworld at 08:57 | Comment(0) | 京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月20日

立場や考え方の違いについて

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まっさらな雪の上を1人歩いて、自分の足跡を振り返りながら考える。

好きではある。興味もある。
かといって、特別な関係になりたいとまでは思わない人を、単にヒマですることがないからという理由で誘ったりしても、許してもらえるだろうか。

この問題について、もうかれこれ30年ばかり考えているが、いまだに答えはわからない。

私が誘われる立場なら、絶対に許すけれど。
いやむしろ、許すというよりウエルカムだ。

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posted by squareworld at 00:10 | Comment(0) | 函館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

町を訪ねる

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甲府、木之本、佐原、銚子喜多方、伊賀上野、富山、高岡、そして下田。
これらは、この半年ほどの間に訪ねた町。
一部を除いて、東京方面への出張のついでに立ち寄った。
富山、高岡もそうだった。

ずいぶん大回りをしているわけだが、夜行バスなどを利用すれば、眠っている間に現地に着けるし、東京で1泊し、新幹線で直接京都の自宅に帰るのと、さほども費用は変わらない。

これらの町は、何の脈略もない。
水先案内は自分の記憶。
地理少年だったころ覚えた町の名前や知識を頼りに、ただただ行き当たりばったりに寄り先を決める。

どこへ行っても、かなりの密度で、廃屋や廃業した店舗の点在するエリアに行き当たる。
かなりの密度だから、点在と書くのは適切でないかもしれないが。

これが21世紀の偽らざる日本列島の姿。。


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2009年05月18日

紫陽花

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紫陽花という植物を不思議に思う。
同じ場所に咲いている花が、とりどりに色を変える。
その花と言われている部分は、実際の花ではないらしいが。

咲く季節は梅雨どきあたりだと思っていたが、北海道では秋に咲いているのを見た。
普段慣れ親しんだカラフルなものではなく、くすんだ鈍い色合いだった。

つい先日、旅の途中で見かけたのは、咲く前の紫陽花。
黄緑色が新鮮だった。

紫陽花には毒がある。
キレイな花には毒があるというから、赤や青、紫など鮮やかに咲く紫陽花に毒があるというのは、何となくわかる。
だが、そうなる前の若々しい黄緑の紫陽花にも、当然毒があるわけだ。

まさかそのようには思えない、というのは若い紫陽花と同様、人間の子どもそうかもしれない


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さじ加減

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自営業であるから、つねに次の仕事をつくるための種まきをしなくてはならない。
それはそれで楽しくもあるが、辛いのは、種をまいているときには、それが芽を出すかどうかはまったくの未知数であるということ。

こんなことをやっていても、いいのだろうか。
単なる道楽や時間の無駄遣いにすぎないのではないか。
こんな雲をつかむようなことをしているよりも、確実に日銭を稼ぐ方法を考えるべきか。

しかし、やり始めた限りは、迷ってはいけない
自信をもって突き進まないと、芽が出るものも出なくなる

などと、自分に言い聞かせる。

だが、あまり自信をもちすぎると独善に陥り、気が付いたときは、まわりに誰も人がいない、といった怖さもある。

忌野清志郎氏やサル学者の河合雅雄氏は、若いときどうだったのだろう。


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2009年05月11日

能力と器量

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賢い人や偉い人の、賢さ、偉さというものを、いちばん強く感じさせられるのは、初対面のときではなかろうか。
いくら賢い人や偉い人でも、何度も会っていると、普通の人と何も変わらないように思えてくる。
その揚げ句に、ただの凡人じゃないか、みたいなところに落ち着いてくる。

一方、美しい人というのは、初対面のとき、その美しさをあまり意識しなかったりする。
なのに、次に会えば、この人は意外と美しいのだ、と気が付き、それから先は会えば会うほど、ああこの人は何と美しいのだろうと、深く感じるようになる。

やはり、内面よりも外見の方が、奥が深いということだろう。


ああ、世間の良識と正反対のことを書くのは気持ちいい。
でも本当に、そう思う。


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2009年05月10日

結果がダメならプロセスで

近ごろ単体露出計代わりにコンパクトデジカメをよく使う。
たとえば二眼レフで撮る場合に、先にコンパクトデジカメで1枚撮り、そのとき液晶画面に表示された絞り値とシャッタースピードを頼りに、二眼レフの露出設定をするのだ。

結果的に私の手元には、構図の似通った2枚の画像が残されることになるのだが、それを見比べて愕然とすることがある。
どう見ても、コンパクトデジカメで撮った方がきれいに仕上がっている……

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本末転倒というか、廂を貸して母屋を取られるというか、早い話、それならば二眼レフは不要だということになってしまう。

まあこんな具合だから、今どき旧式のフィルムカメラを使うなんて、自分でもよほどの変わり者だと思うが、自分という人間は、結果よりもプロセスの方が楽しい、というタイプなのかもしれない。

二眼レフなど旧式のフィルムカメラなんて、フィルムを買いに行かねばならない、現像に出しに行かねばならない、パソコンで見るにはフィルムをスキャンしなければならないなど、たかが1枚写真を撮るにもやるべきことが多すぎる。
それでも使い続けているのは、やはり自分で露出を決めて、ピントを決めてというそのプロセスが楽しいとしか言いようがない。
写真に限らず、釣りにしても登山にしても、結果はさておきプロセスもまた楽しいという部分は、きっとあるはずだ。

ただし、自分はプロセスの方が、などと言うとき、それが単に思い通りの結果が出せないことへの言い訳である、ということもありうるから怪しいものだが。

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2009年05月09日

高岡の鐘

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鐘をつくというのは、寺院や教会など、もっぱら宗教関係の仕事だと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

写真は、高岡市指定文化財の「時鐘」。
高岡の町奉行が、この鐘の設置を建議し、市内金屋町の町人たちが、その鋳造にあたることを願い出て、文化元年(1804)にでき上がった。
高岡は鋳物の盛んな土地であり、その中心が金屋町だった。

高岡市教育委員会の説明文によると、

江戸時代にはまだ時計が普及していなかったので町民に時刻を知らせる必要があった。
それは規則的な生活を営み、共同社会の秩序を保ち、生産の能率を上げ災害を防止する上にも重要であった

とのこと。

どうもこの時鐘設置の趣旨は、私の痛いところを突いている。
このところ、生活が不規則になっているのだ。

ただそれでも、誰にも迷惑をかけてはいないと思っていたが、不規則な生活は、共同社会の秩序を乱し、生産効率を下げ、災害の原因になるのだった。
何をしても許される世の中に慣れきって、こんな大切なことを忘れていたのだ。

さて、この鐘は、「二番町会所」という場所に設置され、使用が始まったらしいのだが、間もなく鐘に割目が生じ、改鋳しなければならなくなった。

そのときに鍋屋仁左衛門という人物が、高岡鋳物の声価を傷つけたことを悲しみ、自ら多額の寄付をして、また、人々の浄財を募るなどして、この写真にある見事な大鐘を完成させたという。
まさに、これぞ人間がもつべきプライドというものだ。

これもまた、自分にとって耳の痛い話だった。


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2009年05月08日

場の気配。不謹慎と知りつつも

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どちらも、ここ何年か、ずっと気になっている場所を撮った。
1枚は近所のお寺、もう1枚はそのお寺の境内にある小さなお宮。

おどろおどろしい、と言うとバチ当たりかもしれないが、何となくそんな空気が立ち込めている。
ここに来るたび、畏怖の念を抱かせられるが、また来てみたくなる。

なぜ、そういうふうに思うのだろうか。

ずっとずっと理由を考えていたのだが、この2つの写真に写っているのは、モノであり、植物であるのだが、人間の生死と関わる何かを秘めているような雰囲気があるからではないかと、ふと思った。


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2009年05月07日

可もなく不可もなくよりも、適材適所

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この2枚の写真は、同じ日に同じカメラで撮った。
1本のフィルムの12カット目と10カット目だ。
写真の画質の良し悪しについて、あまり専門的なことはわからないのだが、どう見てもずいぶんと違いがある。

チューリップを撮った方は、色鮮やかであり、なおかつ柔らかみも感じられる。
良く言えば、今のデジタルカメラでは、なかなか出ないような味がある。
もちろん、素人目で言うのだが、どうもデジタルカメラの画像はメリハリがありすぎるように思うのだ。

一方、桶を撮った方は、どうも良くない。モワーッとしている。
こういう状態を、たぶん写真用語では「フレアが出ている」というのだと思う。

チューリップは順光、桶は逆光気味で撮っているから、こんな違いが出たのだろう。

さて、このカメラをどう評価するべきか。
順光なら良い仕事をするのだが、逆光ならなかなか結果が残せない。

順光専用機として高い評価を与えるのか、それともツブシがきかないからといって見切りをつけるか。
個人的には、前者でいきたいものだけれど、今の時代、こういう存在というのは冷遇される。
カメラも人も。

ちなみにこのカメラは、ミノルタフレックス
ミノルタの2眼レフには、このミノルタフレックスとミノルタ(オート)コードの2系統がある。

ミノルタ(オート)コードは、非常に優秀なカメラとして定評があり、中古相場もそこそこ高い。
だがミノルタフレックスの方は、その陰に隠れて、あまり目もくれられない。
金額も、ミノルタ(オート)コードの何分の1かで手に入る。


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2009年05月06日

日本の片隅で

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芸能人がちょっとハメを外したことに大騒ぎしたり、1日も待てば結果がわかる選挙の開票速報に血道をあげたり。
使命感に燃えたジャーナリストの皆様方のエネルギーには、ただただ感服させられるのみ。

同じことをやっても勝てる見込みはまったくないから、彼らが目を向けないような町や村で写真を撮る。

そのたびに、どこにも共通する風景を目の当たりにして愕然とする。
たぶんこうであろうということは、行く前からぼんやりと予想されるにもかかわらず。

やはりそれは、普段、天下の公器に登場する機会が少ないからだと思う。


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2009年05月05日

見えない糸で結ばれるか

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自分の仕事は1人でする仕事だから、普段は部屋にこもっている。
新聞もパラパラとめくるくらいだし、テレビも食事のときにニュースを見る程度。

かといって、情報にはそれほど疎くないと思っている。
インターネットがあるからだ。
インターネットは仕事の命綱でもある。
電話とインターネットがあれば、離れていても仕事先からの指示が受けられるし、私の場合は納品もできる。

このような状態というのは、たった1本の線で外界とつながっているということ。
それでも部屋のモジュラージャックに接続されたケーブルを見れば、自分が確かに外界とつながっていることが確認できる。

もしもこの先、無線LANのようなものがもっと発達して、全部ワイヤレスになったとしたら、自分と外界は、いったい何でつながっているかということが、自分のこの目では確かめられないということになる。


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2009年05月04日

帰れる場所

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もう何年も前のこと。
言葉が通じない国を1人で何日も旅していたら、いい加減、気持ちが痩せ細ってきた。
ショッピングモールの片隅では、ボディにアンプが仕込まれたおかしなギターを抱えたストリートミュージシャンが、チューニングを終えて演奏を始めた。

名前は知らないが、聞き覚えのあるスタンダードナンバー
FMラジオだとか、ちょっと気取ったレストランのBGMなんかで、たまに聞いた。

地獄に仏、とは言わないまでも、すれ違うよそ者たちへの警戒心がほぐれて、しばし実家に帰ったような気分に浸った。

当たり前だが、それは日本の歌ではなかったけれど、特別に好きだった歌でもなかったけれど、懐かしく思えたことは事実だった。

今、初めて訪れた日本の町で見かけた祭の日のための提灯に、同じことを感じている。
白地に赤く、日の丸が描かれた提灯だ。


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