もう亡くなってしまったが、植田正治という写真家がいた。
鳥取に住み続けながら、つねに全国区の活躍をしていた。
いや、この程度では説明が足りない。
日本の写真界において、土門拳と並び称されるほどのプレゼンスがあったのだ。
いやいや、こういう「虎の威を借る狐」的な説明もあまりよくない。
植田正治、土門拳という両巨匠のどちらに対しても失礼にあたる。
植田正治写真美術館のホームページによれば、
写真界の巨匠・故・植田正治は、世界で最も注目された日本人写真家です。(中略)植田正治の演出写真は、写真誕生の地フランスで日本語表記そのままにUeda-cho(植田調)という言葉で広く紹介されています。(以下略)
となっている。
とにかく、これだけの人が生まれ故郷の鳥取に留まったのだ。
才能が東京に集中したり、ちょっとした拍子にニューヨークやロンドン、パリに逃げていくということを考えると、これは本当にすごいことだと思えてならない。
その植田正治氏の作品に、「印籠カメラ写真帖」というシリーズがある。
植田正治氏の写真活動歴は実に70年にわたるようだが、これは晩年の作品にあたる。
というのも、齢80にさしかかり、体が弱り病を患う中でも、自ら印籠カメラと称したコンパクトカメラを手に写真を撮ることを止めなかったというそのときの作品群が「印籠カメラ写真帖」なのだ。
で、その印籠カメラで撮られた写真というのは、日常の何気ない風景を写していながらも、実に雰囲気が洒落ている。
残念ながら、私は写真のことを詳しく論じる見識をもちあわせていないのだが、巨匠があえて素人が使うカメラを使いながらも、独特の世界が映し出されている。
オシャレな人がわざとドレスダウンしたような感じ、とでも言うべきか。
しかし、今やその当時のコンパクトカメラよりもさらにコンパクト化の進んだデジタルカメラが登場し、描写性能もなかなかのものである。
これらが植田正治氏の晩年に間に合い、なおかつ植田正治氏の気に入るところとなれば、いったいどんな作品が生み出されていただろうか。
さて、結構真面目そうなことを書いてしまったが、最初はそんなつもりなどなかったのだった。
今日の写真は画面の縦横比2:3のコンパクトデジタルカメラで撮り、真四角写真に偽装したもの。
それに引っかけてコンパクトカメラのことを書こうと思ったら、植田正治氏の「印籠カメラ写真帖」のことが思い出され、脱線してしまった。
もちろん私のそんな写真を「印籠カメラ写真帖」と一緒にするのは恐れ多いにも程がある。
せいぜい「淫籠カメラ」てなあたりが妥当なところ。



