明治時代に、こういう建物が出現したときというのは、周囲の人々にかなりのインパクトを与えたのではないかと思う。
今でこそ日本人は、西洋の文物を見慣れているが、明治時代というのは、いくら「文明開化」が叫ばれようが、どっぷりと鎖国時代の延長の中で生きていたのだ。
もちろん、国際化、国際化と叫ばれ、海外からもたらされたものが溢れんばかりの今の世でも、さらに一般大衆の知らない「舶来物」を仕入れて悦に入っている奇特な人は絶えないものだ。
だが、悲しいかなそういう人々は、必ずしも周囲から、尊敬や憧れの眼差しで見つめられはしない。
なぜならば、そういう人々が「舶来物」をひけらかすのは、あくまでも自分の値打ちを高めたいと思っているからであり、さらに悪いことに、そういう意図というのはすぐに見破られてしまうからだ。
(やたらと欧米を引き合いに出して、「だから日本はダメなんだ」みたいなことを、すぐにのたまう進歩的文化人たちも同様だ)
さて一方、明治の世で、海外からの文物を日本に広めようとした人々は、どういう思いでいたのだろうか。
たぶんきっと、そういう人々の胸の中には、自己主張よりも
「このままでは日本はダメだ。この日本を何とかせねばならない」
といった国を思う気持ちが強かったのではないかと思う。
確たる証拠があるわけではないが、そうであったに違いないと思うし、絶対にそうであったと思いたい。
まあ、それも程度物であって、「フランス語を国語にするべし」なんて言った人間は、行き過ぎて大事なことを忘れてしまっているとしか言いようがないが。

