2009年10月14日

身体の畏れ

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用が済めば引退していただくというのが、その人のため。
リタイア後の人生にもいろいろあるが、やがては死んで荼毘に付される。
広い地球には土葬や鳥葬も残っているが、いずれにせよその存在は消えてなくなる。

物だってそうだろう。
用が済めば廃棄物となって処理される。
空き缶などは、ペシャンコにしてリサイクル
アルミ缶程度ならば、子どもにだって踏みつければペシャンコにできる。

それが車や建物となるとそうはいかない。
大人にだって、持ち主がそれを破壊するということは困難だ。

当然、車や建物は、破壊するにも力がいるため物理的に不可能というのもあるが、たとえばマイカーが用済みになったとして、それを自らの手で、こん棒などを使って破壊するということは、きっと誰だってためらいがあるのではないかと思う。
経済社会の論理では、自分で金を払って買ったものは、どう処分しようと原則は自由なのだが。

たぶん人間は、自分の身体よりも大きなものに挑みかかる、ということにある種の畏れを抱くものではないかと思う。
その対象に生命があろうと、なかろうと。

自分の持ち物だからといって自分の手で破壊できるのは、マネキンあたりの大きさが限界ではなかろうか。

posted by squareworld at 08:10 | Comment(0) | 函館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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