

2つの写真は、明治維新以後に建てられた京都の近代建築。
いずれもその代表作に数えられるが、どちらが古い建物か。
京都に限らず、明治の日本は国を挙げて近代化の道を突っ走る。
排仏毀釈とあいまって、仏教寺院は荒れ放題。
武士の時代に別れを告げるべく、各地の城郭も存亡を問われる危機に直面した。
だが、維新の混乱も一段落すると、あまりに急な欧化主義と、伝統文化の荒廃を憂い、「古社寺保存法」が誕生する。
明治30年のことで、これが今日の「文化財保護法」のルーツであった。
ただその一方で、石造や煉瓦造の西洋近代建築は増え続ける。
当初、その設計は外国人技師に委ねられていたが、ほどなく勉強熱心な日本人の間から優秀な建築家が登場し、次々と歴史的名建築を生み出すのだ。
しかし、近代化の象徴だった石造や煉瓦造の建築ブームも、大正時代に勃発した関東大震災で転機を迎える。
石造や煉瓦造は地震国には不向きであると身をもって経験し、鉄筋コンクリートへとシフトする。
ただ、当時先進の鉄筋コンクリートのビルにしても、煉瓦風のタイルが貼られるなど、明治期の近代建築へのデザイン的な未練を引きずる。それらは、よほどのインパクトがあったのだろう。
だが一方では、鉄筋コンクリート造に和風建築のデザイン要素を取り入れるという手法も生み出され、1つのブームをつくったという。
ということで、破風を持つ上の建物のよりも、純洋風の下の建物の方が、時代的に古いのだ。


